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『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』リュック・ベッソンインタビュー

今、世界が注目するアウンサンスーチー
孤独な闘いを支えた 知られざる愛の物語
『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』

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ノーベル平和賞受賞 アウンサンスーチー激動の半生
軍事政権が長く続いたビルマ(現ミャンマー)は今、民主化が急速に進展し、国際社会から大きな注目を集めている。そのビルマでかつて「The Lady」と呼ばれていた女性がいる。軍幹部に危険視され、国民が気軽に実名で呼ぶことがはばかられていたためである。彼女の名は、アウンサンスーチー。民主化運動のリーダーであり、その非暴力による民主化と人権回復をめざす闘いを評価され、1991年にアジア女性としては初のノーベル平和賞を受賞した。
通算15年という長きにわたる自宅軟禁生活を強いられながらも、揺るがぬ意思を持ち続けた彼女の姿は、ビルマ国民の希望であり、世界中の人びとの心を動かした。軍事政権との苛酷な闘い、民衆を魅了したしなやかで美しい強さ、そして遠く異国の地で引き裂かれ、その死にも立ち会うことが叶わなかったイギリス人の夫との深い愛……。
激動の半生と知られざる物語がついに描かれる。


●リュック・ベッソン インタビュー
Q:ミシェルから企画を持ちかけられたとき、プロデュースするよりも監督したいと思ったのは?
脚本を読んで泣いてしまったんだ。これは自分が監督をするってとっさに思ったんだ。悩むことはなかった。新聞で読んでしっているアウンサンスーチーは、ほんの氷山の一角にすぎなかった。物語の深さに感動したんだ。
Q:撮影前にアウンサンスーチーについてどのようにリサーチしたのですか?
本人に会えないまま実在の人物を語るのは歯がゆいものだ。事実とは違う恐れ、あるいは逆に事実に頼りすぎる恐れがある。私たちは彼女に関する本を調べた。それから彼女の身近な人たち、25年間刑務所に入れられているジャーナリストや映画にも出てくる軍を皮肉った罪で投獄されたコメディアンなどに関する調査もたくさんあった。ネ・ウィン始め将軍たちについては、詳しく書かれた本もなかったから、アムネスティ・インターナショナルの報告書を頼りにした。そこに書かれていたのはあまりに残酷でにわかに信じがたかったよ。
家族にももちろん連絡を取り、映画を作ることについて快く承諾をもらったよ。下の息子のキムとは直接会って、友達になった。彼は好青年だよ。
Q:シュエタゴン・パゴダでの演説シーン、ノーベル平和賞授賞式のシーンが特に印象的でした
演壇に立つミシェルの横には、アウンサンスーチー率いるNLDの党員が15名ほど並ぶ。彼女の近くに立っていたエキストラの一人は、現在60歳くらいだが、20年前に実際にスーチーの演説を聴いていた群衆の中にいた。撮影の日は涙を浮かべ、気づくと演壇に立ち、その場面を追随して感情を揺さぶられたようだ。ノーベル賞授賞式のシーンは事前に世界各国のカメラで撮影された本物の授賞式の映像を見ることができた。もちろんスーチーがその模様をラジオで聞いている資料はひとつもなかったけれどね。だから2000人の観衆が見守る授賞式と、独り小さなラジオを聴いている一人の女性との対比を初めて見せることができた。
Q:この映画が人々にもたらすものは?
この映画で興味を持ったのが、民主主義国家への影響力だ。私たちがフランスで謳歌している自由に気づかされるはずだ。フランスでは新聞を読んだからといって投獄される人間はいない。ビルマでは議席の殆どは軍が確保している。20年前にアウンサンスーチー率いるNLDが大多数の議席を確保する選挙結果が出たが、その投票結果は守られることがなかった。自分たちの民主主義をしっかり見守り、言論の自由や人権や政治体制に対して常に警戒することが私たちの義務だと考える。

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●ミシェル・ヨー インタビュー
Q:アウンサンスーチー役を演じるに当たってのプレッシャーは?
この役を演じるプレッシャーというのは、彼女の家族、そしてビルマで今も虐げられている人たちへ敬意を払わなくてはいけない責任感だと思います。俳優として話し方、身のこなし、髪型やメイク、身につけるべきことを全て挙げていったわ。ピアノもね。彼女は痩せていてもか弱いわけではないから健康的に5キロ体重を落としたの。ビルマ語がいちばん難しかった。シュエタゴン・パゴダでの演説シーンでは、実際の彼女の演説映像を入手して何度も何度も見たの。他にも彼女の映像は片っ端から見たわ。
それから時の流れも無視できない。1988年に始まり、自宅軟禁となり、それから夫が病気になり、亡くなって・・・彼女の生活は約10年の間で激変する。若いときにはそれなりの立ち振る舞いや話し方があり、年を経て自信がついたり痛みも味わう。彼女と同じように自分もそれを生きなければならなかったの。
Q:演じる前と後で、アウンサンスーチーに対する印象は変わりましたか?
この脚本に出会うまでは、彼女のことをそんなに知らなかった。1988年というと、私が香港で女優の仕事を始めた頃。何もかも全然違う生活を送っていたわね。この作品に出演して、私たちが当然だと思っている人権や民主主義について考え、理解することができたの。私たちはすでにこういうものをありがたく享受しているから、改めて考える必要がなかった。選択肢がいくつもあって、毎日選べるし、何事もオープンに率直に語れる。だから、この作品を観て、そうではない生活を送っている人たちのことを知ってしまった以上は、「私も何かしなければ」と思うはずよ。
トロント映画祭で上映したとき、ビルマの人たちが会場の外でポスターを持って待っていてくれたの。ビルマ語で「ありがとう」って言われて感動したわ。スーチーさんに会ったのは、タイでの撮影が終盤に差し掛かった頃だった。会った瞬間、腕を広げて私を抱きしめてくれた。とてもリラックスして話ができる雰囲気を作ってくれてくつろいだ気分だったわ。「私は神でも聖人でもない、しなければいけないことに身を投じているだけ」って言うの。彼女には魂の友である夫・マイケルがいた。彼がアウンサンスーチーを愛し、彼女に心の強さを与えたのだと思うわ。
Q:日本で公開されるにあたってメッセージを
彼女は日本に2年ほど滞在していたことがあるし、日本人には彼女はよく知られた存在だと思うのだけれど、もっと個人的な面は知られていないでしょう。それは、彼女が自分のことを公に持ち込まなかったからなのだけれど、彼女の人間的な一面を知ってほしいの。どうしたら一人の女性がここまで強くなれるのか、多くの悲しみを味わっても他人のことを先に考える、そんな人生を見てほしい。震災での日本人の態度も自分より他人の窮状を理解する素晴らしい品格に感動したわ。アウンサンスーチーの立派さと同じだと思うの。

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●ストーリー
1988年、ビルマ――。英国で幸せな家庭生活を送っていたアウンサンスーチー(ミシェル・ヨー)は、母の看病のために久しぶりに祖国・ビルマ(現ミャンマー)に戻ることになった。そこで目にしたのは学生による民主主義運動を軍事政権が武力で制圧する惨状・・・。
そんな中、「ビルマ建国の父」と死後も多くの国民から敬愛されるアウンサン将軍の娘の帰国を聞きつけた民主主義運動家たちがスーチーの元に集まり選挙への出馬を懇願する。不安を抱きながらも民衆の前で立候補を決意するスーチーだったが、それは、ビルマを支配する軍事独裁政権との長い闘いの始まりであり、愛する家族とのひき裂かれた辛く厳しい人生の始まりを意味していた。
●スタッフ・キャスト
監督:リュック・ベッソン(『レオン』『ジャンヌ・ダルク』
脚本:レベッカ・フレイン
出演:ミシェル・ヨー(『グリーン・ディスティニー』『007トゥモロー・ネバー・ダイ』)、デヴィッド・シューリス
配給:角川映画
©2011 EuropaCorp – Left Bank Pictures – France 2 Cinema
『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』
7月21日(土)角川シネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷他全国ロードショー
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